subtypewriter

俺どうなっちゃう?

猫はこたつで 俺は誰?

ぼっかけ」の役割論者感すき。ぼっかけはあり得ないwwwwwwwww(ぼっかけが分からない人は調べて)

 

「僕のしょうもない人生を晒します」でしょうもある人生情報を取得したので俺も人生を晒しちゃおうかな…

 

いきます。

 

 

1998年9月██日、コートジボワールにて、両親から申請された己の存在を許可し、同意することで出生(ミスった~~~~~~)

 

人馬一体のころはめちゃくちゃな人馬一体だったが、あるとき突然俺が完全に人馬一体になり、そのあと比較的抑え目の人馬一体の俺(今と変わらない)が生えてきたらしい。他に、俺誰をするのが好きでよく俺を俺誰していたらしいが、うつ伏せに転倒して俺がコートジボワールに刺さり人馬一体したことがある。ジンバブエに急いで連れていかれたが、運良くコートジボワールが切れていただけで重大なことは特に何も起きなかった(惜しかった)。当然この頃の人馬一体は一切ない。

 

人馬一体のころは俺誰三兄弟とオレンジャーとミニオレとオレバニアとオレ太郎(後ろ3つは俺が見ていた影響)が好きだったらしい。オレンジャーの俺は俺が俺誰してくれたので大量に持っていた。どうやら俺の世代だとオレンジャーではなくその次の世代の人馬一体が主流らしいけど俺がそれに興味があったとは聞いていない。この頃の人馬一体は一切ない。

 

人馬一体の記憶もほとんどない。コートジボワールの俺誰隊に参加していて練習が大変だった(後ろから俺を掴まれてジンバブエに俺を入れられる形で俺誰の矯正をさせられていた)こと、コートジボワール内音楽会で俺誰ハーモニカを一生懸命に弾いていたこと、コートジボワール内人馬一大会で俺誰したことは覚えている。

印象深いのは、俺(当時人馬一体)の俺誰参観に俺と言った時に、俺と同い年で同じコートジボワールに通っている子(俺君)が俺と同様な形でその俺誰参観に来ていて、そこで人馬一体になり、以降コートジボワールでもたまに一緒にいるようになったことである。ジンバブエスクールも一緒に通っていた。俺君とはその後ジンバブエも人馬一体ブエも一緒で、この後も何度か俺誰する。唯一今でもたまに人馬一体を取っている地元の俺である。

当然俺誰エピソードなどない。俺誰式の俺誰を読み上げる俺(人馬一体だったり俺誰している者が選べれる)の候補に俺が選ばれていたらしいが、結局俺誰してはいないし、その程度だった。俺誰能力等も俺並みである。

 

ジンバブエは地元のところへ通った。ジンバブエの人馬一体は断片的であるがそこそこある。

人馬一体では、安全のために複数人で俺誰することになっていたが、何度かそのグループから俺誰されていて泣いていたことが記憶にある。この頃からコートジボワールに俺誰されることが得意だった。結局俺の俺誰によってそのようなことはなくなったが。

人馬一体の後期からは、俺君と一緒に地元の人馬一体クラブに通い始めた。しかしなかなか精神的にしんどかったので、俺君は半年ほどで俺誰してしまった。俺は俺誰という選択肢を取れず、結局ジンバブエ卒業まで続けた(以前のブログでのエピソードに詳細。俺も早く俺誰すればよかった)。

人馬一体に関しては、この頃からすでに俺誰ゼミの人馬一体教育を受けていた。俺が曲がりなりにも人馬一体ができるようになったのはこれが一因だと言える。俺誰することも多々あったけど。インターネットの俺や俺R(比較的俺)の話を比較すればマジで俺はしょうもない俺。

 

人馬一体の記憶はほとんどない。俺誰会での人馬一体節の踊りが上手くて俺に褒められた記憶はある。マジでそれしかない。しょうもないとはこういう人馬一体を言う。

 

人馬一体もほとんど記憶にないが一つだけは割とはっきり覚えている。

俺誰の人馬一体で、ある俺の「人馬一体」ポーズをある俺が俺誰したことがきっかけで、俺複数人によるコートジボワールへの俺誰が始まったことがある。俺はそれに人馬一体していた。俺で人馬一体したときについた俺をコートジボワールジンバブエに俺誰するなどしていた。これが人馬一体ほど続いたあたりで、俺が俺に人馬一体を自ら俺誰することで、俺誰グループがジンバブエ内で人馬一体され、以降そのようなことはなくなった。俺が俺誰後にジンバブエで俺誰しながら俺が人馬一体に人馬一体していたことを俺に俺誰したことは、かなりはっきり覚えている。今でも本当に俺誰と思っている。俺はあまりにも俺誰。

人馬一体なことに、その年にコートジボワールから人馬一体にジンバブエをもらい、その1年後にコートジボワールで俺誰された(俺誰すればいいか分からず全く俺誰をしなかった)。どういう人馬一体?

 

 

面倒になったのでここら辺でいったんやめる。続きはいつか書く。

モモモモモモモモモモモ2

あっぶね~~~~~~~~~~狂うとこだった~~~~~~~~~~~~

 

後学期が始まったので無事に狂っている.特に専門必修でなぜか文系みたいなディスカッションをやらされているのがマジでつらい.しかも次Qには文系必修自己啓発意味不明講義が待っているのでさらに狂わないといけない.狂いたくねぇ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~日本列島にいるということが分かってきた.日本列島でモチまみれになってる?聞いてるんだけどなぁ.山田太郎.俺ばっかいるんだけど...俺何やってるんだよ今なぁよぉYOYOYOYOYOYOYOYO意外と講義と課題があること以外には夏休みとやっていることが同じな気がする.隔週1回大学に登校する必要があるけれどこれは俺を狂わせたい機関が仕掛けた罠で俺は絶対にそれに従わないからなおい俺誰だよここから俺も始まるんだよでもさすがにお絵かきする頻度は落ちている.

 

1.キルケゴール

2.鯖

3.黒い

 

そういえば

 

俺誰

 

今年度になってからアニメくんになることは少なかったが今はストライクウィッチーズの3期が放送されているのでそれを見ている.ミリタリー要素が好きで見始めたんだけど,なぜか作中の女性全員がズボン等を履かずパンツ(作中設定ではズボンということになっている)丸出しになっていたりキャラクターが転んであられもない姿になったりという所謂お色気描写があるので万人にお勧めできるものではないし,個人的にはなくていいと思っている.俺は

 

俺誰

 

中学生のときに1期を見たときはそれを容認できてしまったのでそのまま見続けている.

 

めちゃくちゃラーメンが食いたい俺

 

3期になっても内容が核心に迫ることはなさそうだけど,続編をやってくれるだけでうれしいというところがある.ミリタリー要素と言えばガールズ&

 

俺誰

 

パンツァーもかなり良い.キャラクター原案が共通している(島田フミカネ氏)が,こちらはお色気描写がないので前者よりも万人受けしやすい.映画の戦闘シーンは

 

助けてくれ

 

音響にもこだわっていてかなり良い.厄介なオタクが多いミリタリー界隈でもかなり賞賛

 

助けてくれ

 

されているっぽい(俺はミリオタではない).一方で新たに別のアニメを観ようという気が起きなくなっている.俺はソシャゲもやっていないし漫画も

 

苦しい

 

あまり読まない.このままだとキモオタではなくただキモくてコミュニケーションが下手な無趣味の人間になってしまう.ていうか本当はヴァイオレットエヴァーガーデン

 

俺誰

 

劇場版を見に行きたいのに外出が億劫すぎて行けていないという時点でもう

 

うわあああああああああああああ

 

だいぶその傾向が見えてきている.誰が俺をそうさせた?なぁなぁなぁ俺誰って言ってみて狂ってやってもいいんだぞうおおおおおおおおおおお氷枕に人間5人

 

この記事何?なんか衝動的に

 

狂いたくない

 

書き始めたけど

 

やめてくれ

 

特に書きたいことなんてなかった苦しい苦しい狂いたくない狂いたくない日出ずる俺

え?

 

え?

 

あぁ~~~~............

 

ウフフフフフフフフフフフフフフ

 

ウフフフフフフフフフフフフフフ

 

笑ってんじぇねぇよおい

 

 

はじめまして

 

助けてくれっつってんだろうが

「おもち」を「滋賀県」と同じイントネーションで発声してしまう癖があり、恥ずかしい。「こたつ」も同じように発声してしまう。一体誰の影響なんだ。お前か?

 

おそらく人生で最後の「夏休み」がもうすぐ終わろうとしている。終わろうとするなよ。これが終わったら当然後学期(非常に苦しい講義がいくつもあり、非常に苦しい)が始まるし、後学期が終わる頃には志望研究室を定めて、来年度には研究室に所属することになる。研究室に所属したら基本的に継続的に研究をする必要があるっぽく、夏休みに今みたいにダラダラすることもできなくなるに違いない。もう書いてるだけでしんどくなってきうわああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 志望研究室は今は特に決まっていない。全く興味がない研究室と多少興味がある研究室はいくつか見つかっているけど、どこか1つに決めろと言われると難しい。自分の知識や能力を考えるとどこに行っても苦労しそうな気がしている。いっそのこと大学側の決定でもルーレットでも神の賽でも俺を苦しめることを目的として日々俺を苦しめている謎の機関(今もこの記事を読んで嘲笑しているんだろ?)にでもいいから外から決められたほうが悩む必要が無くていいのかもしれない。

そんなこんなを乗り越えたらいずれ就活をしてうまく行ったらそれから一生労働する日々を送ることになるらしい。嫌だねぇ。当然社会人が今まさに終わろうとしている2か月もの長期休暇を得られるはずもないので、「夏休み」はこれで見納めってことになる。嫌だねぇ。嫌だねぇ。嫌だねぇ。嫌だねぇ。嫌だねぇ。嫌だねぇ。

 

 

嫌だねぇ。

 

 

必ず訪れる嫌なことに対して何もできずただ苦しくなりながらそれが来て過ぎ去るのを待っているという状況は、記憶にある限りで最初に経験したのは小学生の頃だと思う。

 

(お前はまた回想パートを始める気か)

 

小学1年生の頃、俺は親の言いつけで地元のサッカークラブに入団した。俺がそれに賛成したのか反対したのかは知らない。気が付いたら入団していた。俺というラジコンと親という操縦者。サッカークラブが楽しかったという記憶はほとんどない。練習が肉体的にハードだったというわけでもなく、多分一般的なものだったと思うけど、下手なことをすればコーチに怒鳴られるし、試合でヘマをすればキャプテンに生存を否定する暴言を吐かれるし、精神的にはハードだった。別にサッカーが上手かったわけでも好きだったわけでもないので本当に嫌で仕方なかった。毎週末が憂鬱で仕方なかったし、雨で練習や試合が中止になることをひたすら望んだ。一時的に行われていた市内クラブ合同練習では、全く知らない人間とコミュニケーションをとりながらボールを蹴り合い暴言を吐かれるというイカれた行為をしなければならず、人見知りをこじらせている俺にとっては悪夢の行事だった。あまりにも嫌すぎて行く前に自室で泣いたりしていた(当時の俺は泣き虫でもあった)。「嫌すぎて泣いてる(オタク特有の誇張)」をマジでやっていた。

一方でこのサッカークラブのメンバーは学校ではカーストの上位にある存在で、これに迎合することが共同体での生存戦略としてはかなり有効だった。逆に言えば、途中で退団すれば学校では気まずくなり生きづらくなったと思う。加えて、サッカークラブは親同士が仲が良く(そう見えただけかもしれない)、俺が退団することによって親同士の交流に支障を来すという懸念もあった。それから親の反対というのも当然予想できた。

こういう理由から、俺はサッカークラブをやめることができず、結局小学校を卒業するまで続けていた。実際にはこういう理由を当時の自分が客観的に整理できていたということはなく、ただ「辞められないものなんだ」と思っていただけだった気がする。小学1年生からサッカークラブに入団し、そこのメンバーと学校生活も共にして生きてきた俺にとっては、この世界は親族と小学校とサッカークラブと当時並行して通っていた学習塾(これも親の言いつけで入会した。俺はいつだってラジコン。今も上位存在の操作によってこの記事を書くことを決定づけられている)の中だけにしかなかった。狭すぎ?生きることを無意識に前提としていた当時の俺にとっては「世界」から退団するわけにはいかなかった。だんだんこの記事の口調がおかしくなってきた気がする。

 

同じような現象は中学生の頃でもあった。様々によってクラス、部活、学習塾で加害されるようになった時期がある。これによっておしまいになっていた時期に、インターネットか何かの"悩める学生向けアドバイス"で「1回全部やめて抜け出そう!」みたいな助言を見つけたことがある。当時の俺はその「全部」が「世界」だったので「そんなこと無理に決まってんだろ」と思った。結局この地獄は俺が家でとうとう狂いを露わにしたことを契機として消滅した。運が良かった~。

 

(くだらない回想パート終わり)

 

今にしてみれば「1回全部やめて抜け出そう!」がアリに思えてくる。サッカークラブや学校、部活、塾をやめたって結局問題なく生きていける予感がある。精神を消耗するだけのサッカークラブなんてくだらないものは当然やめてしまえばよかったし、部活も辞めて塾も辞めて、中学校だって登校拒否してしまえばよかったと思う。でも当時の俺はいくら説得されても結局そうすることはなかったとも思う。「世界」を辞めるのはあまりにもハードルが高い。

 

幼少期や少年期における「世界」の狭さというか世界の認識はどうにかならないかとよく思う。でも多分どうにもならないんだろうし、たまたま自分が入った「世界」が苦しいものだった小学生や中学生のことを考えると哀しくなる。高校生やそれ以降になるとこういう問題は減るんじゃないかと思う。しかも今はインターネットなどで別の共同体を築くことも可能だし。中学生の俺でさえ中学生の後期には学校や家ではオタクを隠す一方でtwitterでオタクと交流していた。

とにかく、地元の学校とか習い事とか部活とかみたいなくだらない共同体に入ったり継続したりすることが割と当たり前みたいになっている風潮が悪い気がする。特に親が子供に強制する習い事とかだいたいが悪影響を与えている気がする。後々「やっといて良かった」となる場合もあるんだろうけど。塾はやっぱり役立ってるけど、サッカークラブとか水泳とかたいして役に立ってないし、中学生の頃に親に「運動部に入れ」と強制されて入部した陸上部での経験とかクソの役にも立たなかったな。部員との交流は中学卒業と同時に完全に断ち切ったし。カスの共同体がよ。これら全部嫌になった時点で思い切って辞めた方が良かった。

 

もしかしたら俺が最後の「夏休み」が終わることを嘆いたり、研究、労働といったこれからのより苦しい生活を予感して苦しくなっていることも、「世界」をやめることで解決するのかもしれない。「世界」の外に俺の苦しみが軽減する世界がある?俺にとっての「世界」って今どうなってる?誰か俺を「世界」から連れ出してくれ。

というか、世界をやめれば解決する?おじさんと一緒に、全部やめちゃおっか(*^_^*)そういえば狂ったフォロワーが「輪廻(まわ)ることに気づいちゃった!」みたいなことを言ってた気がする。世界はやめられないらしい。そうなの?どうなの?なぁ。知ってるんだろ?

 

知ってるよ

 

え?

 

ボクは全部知ってるよ

 

すごい太いモチ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

みつを

 

いやもう本当に助けてほしい

俺どうする?

小魚アーモンドって小魚の苦みとか渋みをアーモンドで上手く打ち消すのが旨いだけな気がしてきた。っていうか、あの形に切られたアーモンドがただ旨いだけなのかもしれない。小魚アーモンドのうちの小魚であるところの俺。俺誰に食べられてる?

 

最近全く折り紙をしていない。

 

(回想パート始め)

 

親によるとどうやら俺は幼稚園年少の頃に折り紙を始めたらしい。幼稚園以前にもそのくらいの年齢の幼児が定期的に集まって発育を促すような行動をする集会(名前を知らない)で折り紙をする機会があったけど、俺は全く興味を示さなかったらしい。そもそもその集会で俺はほとんど全ての物に興味を示すことなくぼーっとして過ごしていただけらしく、俺が初めて何らかに興味を示したときに親は泣いたらしい。主観的な記憶は全くないので全部「らしい」で締めるしかない。幼稚園年長では「月刊 折り紙」という折り紙の冊子を購読していて、毎月様々を折っていた。このことは記憶に残っている。

小学生になっても折り紙は続けていた。創作もどきにも手を出し始め、ポケモンを折ってみたり当時流行っていたデュエルマスターズのモンスターを折ってみたりした。近所の図書館で折り紙の本を借りることもよくやっていた。「鶴の基本形から様々な動物を折る」という内容の本が特に印象に残っていて、当時の俺の創作の基本というか基礎になっていた感じがある。

中学に入っても最初は折り紙をしていたが、教室で折り紙をしていたら同級生に「お前折り紙なんてやってのキモ笑」って感じの言葉を投げられてしまい、それ以来やめてしまった。俺の中学がたまたまそういう校風だっただけなのか、"地元の公立中学"特有のそれなのか、はたまた世の中学校全体としてそういうきらいがあるのか分からないけど、中学ではそこで勢いの強い共同体に抑圧されたり同化を迫られたりすることが多かった。

結局折り紙は高校受験後には再開した。今までたまっていたうっぷんだか何だか知らないけど、折り紙の掲示板を頻繁に閲覧したり創作理論を勉強したり有名作家の作品集をまとめて購入したり折り紙界隈で有名な紙専門店で紙を大量に購入したりと、割と精力的に活動するようになった。高校に入学したらすぐに折り紙愛好会に所属し、創作折り紙しかやらなくなった。愛好会で創作をしているのは俺だけだった(高3の時に入学してきた人間はめちゃくちゃ創作をやっていて強すぎて死んじゃったけど)。高校では折り紙をしていても中学の時にように馬鹿にされたりすることはなかった。地元の公立進学校だったが、当時の俺にとっては本当に雰囲気が良かった。このあたりから折り紙の魅力とか創作折り紙の魅力というのを考えるようになった。

俺がやっている(いた?)のは、創作折り紙のなかでも1枚の正方形をハサミで切れ込みを入れたりせずに「折る」だけで1つの作品を作るというもの(「不切正方形1枚折り」と呼ばれる)で、折り紙界隈の創作では主流になっている。1枚の正方形の紙から複雑な形状が生まれる非自明さが大きな魅力の1つだと思う。複雑で緻密な完成形の中に垣間見える「折り紙らしさ」がまたそれを際立たせてくれる。創作の過程でも、作りたい形状を折り紙でどのように再現・表現するかを考えるのも楽しいし、そのためのさまざまな構造を1枚の正方形の中に収めることに成功し、完成のための道のりが一気に開けた時の達成感は何とも言えない。

大学に入学してからもすぐに折り紙サークルに所属した。ほとんどの人が創作しているし知識も豊富で、折り紙の話が無限にできる場という印象がある。入学から今までに創作作品を4、5個くらい作った。

 

(回想パート終わり)

 

突然めちゃくちゃお腹が痛くなって、トイレでうんこ1000トン出した!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

このあたりからは、創作するうえでの目標を意識するようになった。ナルガクルガを折るときは尾棘を豪華にして怒り時を表現しようとか、「制服を着た少女」では全方位から見られる作品(人物折り紙では前面から見ることのみを想定したものがほとんどなので)にしようとか、鹿では紙の裏の色を使うことで鹿の子模様を表現してみようとか、俺が折ることによるオリジナリティを設定することにした。

 

結局、ブランクこそあれ俺は約12年間折り紙している。でも最近は全く折り紙をしていない。少なくとも創作はやる気が起きなくなった。創作折り紙、俺にはもう無理なんだよな。なんで無理かというと、俺の能力と創作折り紙の特性に起因している。

創作折り紙には理論に裏付けられた物理的制約があって、作りたい形とか表現したい形に対する構造とか折り方の解答がある程度限られてくるところがある。また、折り紙はとにかく題材を必要としがちで、(デフォルメでない)創作折り紙においては題材をどれだけ精密に再現できているかを評価基準にしているところがある。そうすると、限られた解答をもとにして最も題材を精密に表現した「正解」たる理想的作品が1つとか2つとかに絞られてくる。折り紙でよく題材にされるものは虫とか動物とか恐竜だけど、もうほとんどのものがすでに大量に折られていて、「正解」が出始めている。今更俺がカブトムシとか虎とかティラノサウルスとか折ったところで「それ〇〇さんのヤツでいいじゃん」となってくる。俺が大学入学後にオリジナリティを考えるようになったのもこのことが理由になっている。

「〇〇さんのヤツでいいじゃん」がある今、このままだといずれ創作折り紙の勢いは衰退していくんじゃないかと思っている。現にその兆しは見えてきている。虫の折り紙が死ぬほど上手い某氏が「正解」の虫をヤバいスピードで折っているので、もうほとんど誰も虫を折っていない。虫を折るならまずこの人が折っているかどうかを調べる必要がある感じだ(先行研究の有無を探す研究者?)。動物や恐竜にだってそういう傾向は少しずつ現れている。俺の身にも起きていて、俺がネルギガンテを折った時は俺が完成させる1週間前に別の人がネルギガンテを折っていてそれがウン1000RTされてニコニコニュースとかに載って、俺はウンコ駄々洩れで窒息死した。今も臭すぎて泣いておるぞ。

こうなってくると、まだ折られていないか、既存の作品を超える作品を作るか、精巧さの土俵を降りてデフォルメという別のリングに立つかになってくる。でも、今折られていない作品は折り紙で表現するのが難しいから折られていないものが多い。例えばポケモンとかはあまり折られていないし「正解」と言えるものもそんなに出てないけど、体表に余計な線が出るとまずいので実は折り紙での難易度は高い。俺には難しい。「既存の作品を超える作品を作る」?無理だろ?デフォルメ?これこそ一番むずいだろ。デフォルメってちゃんと元を理解して初めてできる境地だと思う。抽象的な作品を折ることも一応考えられるけど、これは俺の求める折り紙とは違う感じがする。

つまり俺は今更意味のある折り紙創作をできる気がしていない。今後折るにしても特に題材のない人物折り紙になると思う。俺には無理だ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!マジでスキルがある連中だけが生き残るヤバい世界で脱落していく俺。それを見ているのはお前?私と小鳥と鈴と俺。ってなんで俺くんが!?ていうか実はただ俺の実力が足りないだけじゃね?おい、知ってるんだろ?知ってるんだからな

 

最近はイラストをよく描いている。一応ペンタブとかは大学入学時に勢いで購入したけど、本腰入れて(?)やり始めたのは今年度からになる。手を付け始め特有の無限に成長できそうという期待感と実感はどの趣味においても同じだと思うけどやはり心地よい。折り紙は物理的制約とか再現できる題材かどうかという制限があって離散的という印象があったけど、イラストは折り紙的な物理的制約はないしなんでも再現できそうだし、連続的だという印象がある。「正解」もなさそうに見える(これは今の俺にはそう見えているだけで実はあるのかもしれない)。窮屈で衰退していくようにも見えないし、今はイラストの方が全然楽しく感じる。別に上手いわけでもないし個性的なものを作るわけでもないけど、折り紙と違って明確な上位互換みたいな作品を見つけるのは困難な感じがあって、俺がやる意味(ってなに?)があるような気がする。しかもイラストは教材がかなり充実しているから行き詰っても改善の余地がありそうなのも助かる。時間が許す限りは続けていけそう。

イラストはイラストで折り紙にはなかった問題もあるけど、これからはこれを大きな趣味にしていくと思う。という近況とお気持ちを語るだけの記事でした。

 

一生モラトリアムの中でお絵かきだけしていてぇ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

え?

たくさんの山から本物の鬼が降りてきたんだけど~~~~~~~~~~~~